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平山幸司・ひらこうアオモリ・猛進世代


【プロフィール】
経歴

S.57 五所川原市立栄小学校卒
S.60 五所川原市第三中学校卒


―東奥日報朝刊を配達した新聞少年時代−
小さい頃、隣の家の先輩から東奥日報からもらった「新聞少年を讃える」というトロフィーを自慢げに見せてもらったことがある。一つ上の先輩がすごく大人に見えた印象が強く残っている。
以来、私自身、雨の日も風の日も暑い日も寒い日も、朝5時50分には家を出て、毎日300軒弱のご家庭に新聞を配達した。
11月から3月の雪の時期は、少しでも近道をするために、最短距離の深雪の中をソリの上に新聞をのせて歩いたことを記憶している。
ある日、ソリの上の新聞が、横殴りの強風にあおられ、地吹雪の津軽平野の真っ白な田んぼの中に全部舞ってしまったことがあった。真っ白な田んぼに散る新聞を一生懸命、泣きながら拾い集めたが、津軽平野の地吹雪には勝てなかった苦い想い出がある。
本当に「どうしよう…」と泣きながら途方にくれて家に帰る自分の姿を見て、父はすぐに新聞店に連絡を入れた。そんな中、それでも、優しく新しい新聞を持ってきてくれた中川新聞店の社長さんに心から感謝している。
私はよく、知人や友人が家を訪ねてくる際に必ず見せる大切な物がある。
東奥日報から頂いた「新聞少年を讃える」のトロフィーである。
小学校から中学校にかけ行った新聞配達は、自分自身の誇りとなり、「新聞少年を讃える」のトロフィーは、私自身の一番の宝物である。


S.63 青森県立五所川原農林高等学校土木科卒(野球部)

―球ひろいでチームを支え、甲子園を目指した高校時代−
夏の甲子園、青森予選のベンチ入りの数は18人。 ダックアウトに丸いエンジンを組み、監督の発表に耳を傾ける。
背番号1番 ○○君、背番号2番 ○○君… 次々と名前が発表されていく。背番号18番 ○○君 と最後の選手の名前が呼ばれたが自分の名前は呼ばれなかった。高校2年生の時の夏の甲子園予選の発表だった…
初夏の炎天下のグラウンド、バッティング練習の際は飛び込んで打球を追うことはしないが、この時ばかりは違った。
ひときわ大きな声を出しながら、必死に打球にくらいつき、ほこりと泥と汗まみれのユニフォーム姿の自分がそこにいた。 自転車で40分程の帰り道、いつもは数人で一緒に帰っていたが、その日は真っ暗な田んぼ道を一人で帰った。(泣いている自分の姿を誰にも見られたくなかった…) 
結局、3年生の夏の甲子園予選大会では、背番号14番を頂きベンチとコーチャーBOXが自分の守備位置であった。 それでもチーム一丸となって甲子園を目指した皆とは、今でも心の友である。
「玉拾いでチームを支え野球に明け暮れる高校時代を思えば、どんな厳しさにも耐えられる」 これが五農野球部の共通した意識である。


H.4 カナダ バンクーバーへ語学留学
―世界に目を向け、あえて公務員を辞して望んだ海外修行時代−


H.5 関東学院大学 工学部 土木系卒(スキー部)
―仕事をしながら夜間の大学で専門知識を学んだ青年時代−


H.16 小沢一郎政治塾卒(3期生)
―政治を志し、海外から応募し2年間の修練を積んだ挑戦時代−

H.18 慶應義塾大学 法学部卒
―福澤諭吉先生の「独立自尊」の精神を4年間通信教育で学んだ学問時代−



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